元エンジニアの気功家 中川雅仁

宇宙エネルギーshinkikoを広める会社代表のブログ

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新聞店の2階に住み込んだ浪人時代 

私は大学受験に一度失敗し、浪人生をやりました。その時は苦しかったけれど、今思えばこの1年が私には最高の年になったのです。
私の父は中卒で丁稚奉公に行き学歴はなかったのですが、何でも自分で勉強した人でした。私に「勉強しろ」とは一度も言わなかったけれど、妙に教育熱心でした。会社をやっており仕事が暇なわけでもないのに、私にくっついて幼稚園、小・中学校、高校とPTA会長を勤めてしまいました。小さい頃から父の口癖は「大学は行かなくてもいい。どうしても行きたいなら一番近い所に行け」でした。近いところと言えば北海道大学しかありません。中学まではあまり勉強しなくても何とかなったのですが、高校に入って好きなことをしていたら、3年にはすっかり「お呼びでない状態」になってしまい、受験も失敗に終わったのです。
父は「予備校なんて、とんでもない」と言っていたし、うちの経済事情もあまり良い方ではなかったので、卒業式の後、何かアルバイトでも探そうと求人誌を買ってきたのです。たまたま開いたページの「住み込みで新聞配達をしながら学校に通いませんか?」という奨学生募集の記事が目にとまり、「予備校に通いながら給料も貰えて丁度良い」と話を早々に決めて、父は出張中でしたが布団を持って家を出てしまいました。 札幌に北海道神宮という大きな神社があるのですが、その傍の新聞店でした。
店の二階が我々の部屋で一人に3畳間一室があたりました。私を含め6人、予備校生が3人、大学生3人。そこでの生活が家とは大違いだったのが、私の中途半端な性格を矯正してくれたのですが、その話はまた後日にしましょう。
初日に受け持ちの区域が決められたのですが、なんと運悪く一番広い神宮を含む区域が当たってしまったのです。 北海道の場合、4ヶ月は雪があるのですが、大量の新聞は手に持てないので自転車に載せて運ぶのです。マンションの多い区域は楽ですが、私のように広い範囲を移動しなければならない区域は特に大変なのです。当時は自分の運の無さを、嘆き悲しんだものでした。
一年後大学に合格してから氣がついたのですが、休日を除き毎日朝夕の2回、強制的に神社詣でをしていたわけです。合格できたのは、何か大いなる力のお陰があったのかもしれません。
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( 2008/09/30 07:06 ) Category 私について | トラックバック(-) | CM(0)

エンジニア時代にやっていたこと 

私は、以前勤めていた会社で、通産省から予算をもらって「マイクロマシンの研究」をやっていました。マイクロマシンというのは、蟻のようなロボットのことです。
今はどうなっているのか分かりませんが、私が退職した当時は、10年計画の研究が始まってまだ2〜3年という段階でした。半導体を作る技術が進み、小さな小さな構造物、たとえば0.1mmの歯車やモーターなどができたことから、この技術を応用しようと始まった研究でした。
しかし、問題は部品が小さくなればなるほど、力が出ないということです。小さなモーターはできても、それを使おうと計算してみると、何も動かせないのです。そこで、どうやったら小さくても動く物ができるのだろうと、当時この分野を研究していた人たちは、小さな生物を参考にすることもありました。 私も、ゾウリムシとか尺取り虫などのビデオを見て観察しましたが、観察すればするほど感心してしまったものです。
駆動源は小さいのに、すごい力(パワー)が出るからです。蟻など驚異のかたまりです。蟻の体重を支えて動かすには、単純に考えるとモーターと電池(エネルギー源)が必要で、さらには外界からの刺激を関知するセンサーと、それを処理するコンピュータがなければ、動き回れないのです。これだけでも、もの凄い大きさになってしまいます。
研究が進めば進むほど、自然の生き物はうまくできているということが、逆にわかってきたわけです。
その頃ちょうど胃の調子も悪くなり、前から先代に言われていた真氣光研修講座に行ってみようと思ったのです。受講して、たくさん勉強になりましたが、そのうちの一つは「この宇宙には、神のような大いなる存在があるのかもしれない」ということでした。つまり、我々生き物をはじめとする全てのものがあまりにうまくできているのは、何かがコントロールしているとしか考えられないということでした。
( 2008/10/06 08:55 ) Category 私について | トラックバック(-) | CM(0)

エンジニアから氣の世界へ 

真氣光研修講座は毎月3泊4日で開催しております。氣づきを得て自分自身を高めるために、氣を勉強したい、身も心もリフレッシュするために、病気を克服するために、光を送りたい、など目的はさまざまです。私の場合もそうでしたが、初めて参加される方は、どんな所だろう、何をするのだろうと、不安で一杯だと思います。
父が'90 年から始めた講座ですが、私が受講したのは'92 年です。サラリーマン生活もそろそろ10 年目になるころでした。当時の所属が電機会社の研究開発部門ということもあり勉強させてくれる会社でしたから、社内はもちろん社外の研修なども経験したことがありました。研修そのものには、あまり抵抗なく参加できましたが、「氣の研修」は想像が全くつかず不安が多かったものです。しかし講座が進み、日が経つにつれ、自分自身が変わっていくことに気がつき、最後の日に研修所を出た時には、周りの風景がキラキラと輝いて見えたことを記憶しています。それだけ私は、マイナスの氣に影響されていたのかもしれません。
この受講で、私が一番心に残ったことは、「自分の氣がすべてを決めている」ということでした。それまで私は、仕事でかなりのストレスを抱えていました。その中身を分析してみると、上司に対しては無理難題を押しつけることへの不平・不満、部下に対しては自分が思ったとおりの仕事をしてくれないことへの不満が大部分だったように思います。周りの人たちが悪いから私は悩まされるという考え方で、いつも自分が被害者だったように思うのです。
ところが、講座で習ったことは、「自分の氣や波動が周りの現象に影響を与える、自分が変われば周りも変わる」ということでした。つまり私に降りかかっていた災いは、自分自身の氣が強いマイナスだったから現象となって現れていたことで、周りの人たちは加害者ではなく、むしろ私のせいで同じように苦しむ結果になっている被害者だということでした。自分は不平や不満を言える立場に無いばかりか、自分が悪いのだから我慢できると思えるようになったのです。そして「自分が何をすれば、プラスの方向に事態が変わるのか」と、いつも考えることが重要だと氣づいたのでした。
この研修講座の体験は、その後の私の生活を一変させました。そして、たくさんの人に氣が必要だと思うようになり電機会社を辞めて、父の会社に入ったわけです。そうしたら、2年ばかりで父が亡くなり、私が後を引き継がなければならなくなったのです。
( 2008/10/14 10:37 ) Category 私について | トラックバック(-) | CM(0)

先代が亡くなったころ 

先代が亡くなる2ヶ月ほど前、'95年10月ころのこと。研修講座を受講したウチの奥さんの顔がなぜだか、だんだん赤くなってきました。みるみる湿疹が出てきて、そこがかゆいと言うのです。ハイゲンキでもしていればそのうちに治るだろうと、あまり氣にもとめていなかったら、あっという間に真っ赤になってしまいました。どうもアトピー性皮膚炎のようでした。
私は当時、父である先代が一度倒れて右半身に少し麻痺が残ったので、くっついてセミナーに出歩くことが多かったのです。たまに家に帰ると、彼女の症状がますます凄くなっています。「ちゃんと氣をうけろよ」などと、偉そうに指示していたのですが、一向に良くなりません。今、考えると私には他人事でしたが、彼女にはたいへんな事だったろうと思います。
もし当時、まだ氣のことを十分に体験できていない私の顔が真っ赤に腫れ上がり、かゆくてかゆくて仕方がなくなったらどうするでしょう。取りあえずかゆみを抑えるために、医者へ行って、薬でも塗っていたかもしれませんし、さらには、何がアレルギーの源かと、食べ物やハウスダストなどを調べていたか、アトピーに良いと言われる健康食品などを試したかもしれません。しかし彼女の場合、全くそんなことはせず、ただひたすら真氣光オイルを塗って、ハイゲンキと音氣で氣を受けていました。最初は人前に出るのを嫌がっていたのですが、そのうちに開き直ったのか、どんどん出ていけるようになりました。
その頃ちょうど先代が亡くなり、人がたくさん集まる葬式などもあったのですが、もう彼女は「大丈夫ですか」と人に声をかけられても、マイナスの感情が出てくることもなくなり、「氣にしてもらって有り難い」とさえ思えるようになったのです。
私もただ見ていることができなくなり、毎日2時間ほど一緒に氣を受けるようになったのですが、実は、それがとっても良かったのです。いま考えると不思議な感じがするぐらい、ちょうど良いタイミングでした。
その時、先代が亡くなったり、いろいろなプレッシャーやストレスがあったのですが、2人で氣を受けることで、乗り越えられたように思います。そして、真氣光の素晴らしさが分かり、たくさんの氣づきがあったのです。そんなことでもなければ、私は真剣に氣を受けることなどしなかっただろうと思います。私にいろいろな事を学ばせるために、彼女が辛い目にあってくれたと思うと、ますます頭が上がりません。
( 2008/10/17 08:16 ) Category 私について | トラックバック(-) | CM(0)
プロフィール

中川雅仁

Author:中川雅仁
株式会社SAS代表 気功家。
'93年電機会社の研究職を退職。'95年、夢で氣が出せるようになった父の跡を継ぎ、shinkiko(真氣光)という宇宙エネルギーを世の中に広める元エンジニア。詳細プロフィールはこちら

shinkiko(真氣光)とは宇宙からの気づきのエネルギーです。

株式会社SASは真氣光を利用して、人類が宇宙意識に近づくためのお手伝いをさせていただいています。

shinkiko(真氣光)とSASは、各種団体・宗教とは一切関係ありません。

本の紹介
中川雅仁の著書と shinkikoが紹介されている本です


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